神道実行教

❖御祭神❖


参鏡-天祖参神
(天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神)
-あまつみおやもとのちちはは

❖教義❖


万物の根源と信仰する天祖参神及びその分魂鎮座の霊獄である富士山を崇信し、神人合一の霊境を体認して死生を申明し誠心をもって實の行に励み、宝祚の無窮と万人の福祉を祈請するにある。開祖の垂示に基づいて一切の恩に報謝し、實の行を修め、惟神の大道を宣揚することを本旨とし立教の原点とする。
あまつみおやもとのちちはは様に孝行すること。毎日神拝御恩禮詞を奏上し心身を清め祖先追慕の念を強めること。日ごろは親孝行。

❖来歴❖


実行教の前身は不二道です。この不二道は富士講と呼ばれた富士信仰者の多くの集まりのひとつでした。


実行教の元祖である長谷川角行という人物は、室町時代末期にあたる天文十年(1541年)に備前長崎に誕生しました。幼名竹松、元服して長谷川左近藤原武邦。


過酷な時代背景(戦国時代)と父母の志を背負い、武邦が十八歳の正月、治国済民祈願修行のため諸国霊場巡礼の旅に出ます。

奥州平泉の脱骨の窟(たつこくのいわや)に入り修行中、役行者があらわれて「富士へ行け」と告げます。


富士へ赴いた武邦は西麗の人穴(ひとあな)に籠り、四寸五分角の角木に立って一千日の立業を行います。この角木の行を終えた後、名を角行東覚と改めます。その後近江琵琶湖にて水行百日百夜など諸国巡歴修行を続けます。

その後角行は二人の弟子と共に人穴に帰ります。


天正十年に本能寺の変があり、信長と同盟関係であった家康は敗走。駿府を目指しますが途中で甲斐の武田軍に攻められます。窮地の家康は人穴に逃げ込み角行に匿われて助けられます。

翌年、助けられた礼に人穴を訪れた家康に角行は教えを説きます。

慶長五年、関ケ原の戦いで勝利した家康は同八年江戸に幕府を開き、ここに永きに渡った戦乱の世はようやく終結を迎えました。


その後角行は天保三年、百六歳の長寿を全うするまでに不眠の大行一万八千八百日、断食行二百日、富士登山百二十八回等の苦行を行ないました。

角行の墓所は今も人穴にあり、富士信仰の徒によって大切に祀られています。


角行の教えは一貫して「平和を望む心」と「民衆のための宗教」でした。

その教えは弟子達に受け継がれ二代目日旺、三代目旺心、四代目森月行、五代目伊藤食行身禄に至り富士講は隆盛を極めます。六代目伊藤花子一行、七代目伊藤参行、八代目小谷禄行三志と綿々と続き、現在の当教派実行教へと繋がっています。